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お知らせ

NIPPON FIGHT イベントPHOTO

2015年12月31日


<Fire Ball>


<東日本大震災被災地 赤十字社 義援金贈呈>


<1st FIGHT 平野仁入場>


<1st FIGHT 一條貴洋入場>


<1st FIGHT>


<2nd FIGHT ナイティング原田入場>


<2nd FIGHT トヨマール棚橋入場>


<2nd FIGHT>


<MAIN FIGHT 山本”KID”徳郁入場>


<MAIN FIGHT 魔裟斗入場>


<MAIN FIGHT>


当日のマスコミ取材に関するお問い合わせはこちらまで

2015年12月16日


スタンディングチケット販売開始

2015年12月16日

本日よりスタンディングチケットの追加販売を開始いたしました。
スタンディングチケット販売終了いたしました。
当日 スタンディングチケットは若干枚数 販売を予定しております。

ニッポン・ファイト実行委員会


<MAIN FIGHT> 魔裟斗 VS 山本”KID”徳郁戦のラウンド数の変更について

2015年12月15日

諸事情によりラウンド数を5Rから3Rに変更することとなりました。

両選手に今年を締めくくるに相応しいスピーディーでスリリングな戦いを御期待下さい。

ニッポン・ファイト実行委員会


MAIN FIGHT
スタンディング特別ルール3分×3R(KO・判定決着有り) TBSテレビ「KYOKUGEN」にて放送

魔裟斗

魔裟斗写真
  • 1997年キックボクシングデビュー
  • 2002年K-1 WORLD MAX日本代表トーナメントに出場し小比類巻貴之に勝利し優勝
  • 日本代表としてK-1 WORLDMAX世界一決定トーナメントに出場するも準決勝でアルバートクラウスに判定負け
  • 2003年K-1 WORLD MAX日本代表トーナメントに出場し武田幸三に勝利し2連覇を果たす
  • 日本代表としてK-1 WORLDMAX世界一決定トーナメントに出場しアルバートクラウスにKO勝利し日本人初のK-1世界チャンピオンとなる
  • 2004年K-1 WORLDMAX世界一決定トーナメントに出場しブアカーオに判定負け
  • 2004年12月31日大阪ドームに行なわれたK-1 Dynamaiteにて山本”KID”徳郁に壮絶な打ち合いの末、判定勝利
  • 2008年K-1 WORLDMAX世界一決定トーナメントにてダウンを奪われるも後半の猛攻により延長ラウンドで判定勝利し2度目の世界チャンピオンとなる
  • 2009年12月31日引退試合 宿敵アンディサワーを5Rの末判定で破り、多くのファンに惜しまれつつ12年間の現役生活を終える
  • 引退後6年が経ち、2児の父として円満な生活を過ごすが子ども達に闘う父の姿を見せる最後のチャンスと今回の参戦を決意

協力 シルバーウルフジムhttp://www.silverwolfgym.co.jp 240x80

V S

山本KID徳郁

kid写真
  • 2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(-65kg)で優勝
  • 2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位まで登り詰めた
  • 2004年12月31日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪うも判定負け
  • 2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にて決勝戦を須藤元気と対戦し1RKO勝ちを収め、HERO’S 初代ミドル級 世界チャンピオンとなる
  • 2006年レスリングに復帰し、2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する
  • 2007年9月17日、総合格闘技復帰戦となったHERO’S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦でビビアーノ・フェルナンデスと対戦し判定勝ち
  • 2008年7月21日練習中に右膝前十字靭帯を断裂し同年8月1日に手術
  • 2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14でキコ・ロペスと60kg契約で対戦し、KO勝ち。
  • 2011年、UFCと契約
  • 東日本大震災復興、被災地の仲間への友情とともに参戦を決意

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SPECIAL LIVE

FIRE BALL

fireball写真

▶︎山本”KID”徳郁との親交があり「2011.5.6 東日本大震災復興支援 魔裟斗&山本”KID”徳郁 チャリティ・ファイト」に参加

類まれな4つの個性のアンサンブルで魅せるレゲエ・アーティスト・グループ。
横浜を拠点に世界的に活躍するレゲエサウンド、MIGHTY CROWNに所属するソロアーティスト同士が「一つのステージを創る」ことを目的に1997年にFIRE BALLを結成。当時台頭しはじめた日本の ダンスホールレゲエシーンを牽引する形で2002年、現在の4人のメンバーでメジャーデビューを果たし、これまでに9枚のオリジナルアルバムをリリース。
リアルミュージックとしてのレゲエを追求し続け、音楽のみならずカルチャーシーンにも影響を及ぼしてきた。
横浜という土地を体現するように、メンバーそれぞれがCHOZEN LEE(韓国), JUN 4 SHOT(中国), SUPER CRISS(アメリカ), TRUTHFUL ak.a.STICKO(日本)という異なるカルチャー的ルーツを持ち、そのセンスと才能の重なりから創りだされる楽曲やステージは「伝わって、楽しめ て、心に響く」唯一無二の存在である。
彼らMIGHTY CROWNファミリー主催の「横浜レゲエ祭」はもちろんのこと、「フジロック」「サマーソニック」「京都大作戦」「RUSH BALL」といったロックフェスへの出演する一方で、横浜のデパートとのプロジェクトや横浜開港イベントに出演するなど、年齢やジャンルの壁を難なく越え て惹きつける魅力の持ち主である。
2015年「Give Thanks」を活動テーマに掲げ、ファン投票とメンバーセレクトの2枚に別れたオールタイムベストアルバムが同時リリースされている。

▼オフィシャルサイト/SNS
[MIGHTY CROWN ENTERTAINMENT] http://www.mightycrown.com
[公式モバイル] http://www.fireball-mobile.com
FACEBOOK:  FireBallOfficial


1st FIGHT
総合格闘技 3分×3R 特別ルール

平野仁

GRAACA 釜石ベースロゴ

東日本大震災被災地 岩手県(大槌町出身) 現釜石市在住総合格闘技GRAACA 釜石ベース代表 172cm 62kg

  • 国際武道大学在学中から総合格闘技津田沼道場にて総合格闘技を学ぶ。
  • 2000年に地元岩手県大槌町に帰郷し、地元の公共施設を借りて総合格闘技チーム『グラップリングアカデミー』を発足。
  • DEEPやGRADIATORなどで試合をし、2008年からは試合の拠点を海外に移し、台湾、フィリピン、グアム、サイパン、シンガポール、オーストラリアなどで試合をする。
  • 2011年3月11日東日本大震災で被災し活動休止。
  • 練習仲間とボランティア活動を続けながら、震災から1年後の2012年3月11日、まずは町のために自分ができることとして隣町の釜石市にて常設道場『グラアカ』をオープン。
  • グラアカオープンの際には、山本KID徳郁からも援助を受け、現在も古くからの格闘技仲間たちからサポートを受けて運営している。

GRAACA 釜石ベースブログ http://ameblo.jp/graacamma/

2011.5.6 東日本大震災復興支援 魔裟斗&山本”KID”徳郁 チャリティ・ファイトにて(Youtube) //www.youtube.com/watch?v=3qku8kqV1dg

V S

一条 貴洋

一条写真
    169cm  65kg

  • 高校時代より柔道部に所属しながら総合格闘技を始める
  • 卒業後 会社員と働きながらジム通いをするも試合に勝てない時期が続き一時は格闘技の世界から遠ざかる
  • 2011年東日本大震災の原発の影響で避難が続く地元の現状に胸を痛める
  • 平成26年3月に地元の南相馬市に戻ってから再び夢を追う覚悟を決める
  • 週に3日仕事を終えてから1時間半をかけて福島市内のジム「ブレイブハート」に帰宅するのは深夜だが「もう悔いは残したくない」との一心で努力が実り修斗の全国大会のフェザー級で優勝し念願のプロデビューを果たす
  • 「自分が格闘技を通じて盛上げたい」とリングに向かう

facebook https://www.facebook.com/profile.php?id=100002228703225&fref=nf&pnref=story


2nd FIGHT
スタンディング特別ルール 2分×3R

トヨマール棚橋

トヨマール棚橋写真
  • 1988年、『格闘技通信』編集部で働き始める。体験記リポートなどを、“トヨマール棚橋”の名で執筆するようになる。
  • 1997年、結婚。2年後に長女誕生、その2年後に長男誕生
  • 子供が誕生し、楽しいマイホーム生活を送ろうと思っていたものの、長男があまりにもやさしい性格なため、やんちゃな同級生に怯えてしまうように なってしまい、妻に相談され、柔道を習わせることに。これで長男は自信がついたばかりか、見学していた長女も始めることになり、姉弟で柔道を始める。長女 は2015年の都大会3位、長男は小学5年生のときに東京都中量級チャンピオンに輝く。
  • 父は精神修養のために、勇気を試す意味でも負けを恐れず前に出ることを覚えさせるために、一本を狙う柔道を子供たちに説いている。娘、息子の観戦に力が入る日々を送っていたが…。
  • 2014年10月、胆のうガンの疑いがあり、胆のうを全摘出。結果は良性でガンではなく、結石だったが、同年12月に膀胱ガンの診断を受ける。手術に踏み切る。
  • そんな矢先に、魔裟斗が出演していたことでも注目されていたドラマ『プラチナエイジ』に見入ってしまう。「この年齢でも試合ができる」 そう決意し、中年のキックボクシングイベントNICE MIDDLE出場を決意する。2015年9月6日、NICE MIDDLEに出場して判定勝利を収める。
  • この年齢での挑戦 まさに再起をかけて望む

V S

ナイティング原田

ナイティング原田写真
  • 1987年、16才の時、長野より上京。以後10数年水商売に従事。
  • 2001年、30才の時、職場で元妻と出会い結婚
  • 2002年、結婚1年目に優音(ナイト)誕生
  • ナイトが1才になる前に離婚
  • 様々な子どもの悲惨な事件が報道されるなか自分で育てることを決意、昼夜逆転した生活はナイトのためにならないと考え、初めて昼間の仕事に就職する(かっぱ橋道具街)
  • 片親のため、自分の身は自分で守れる強い子に育ってほしいという想いがあり、ナイトが4才の時に、長野の同級生で、当時、キックボクシング全日本 ライト級チャンピオンであった小林聡の紹介で、親子でキックボクシングの神様 藤原敏男(外国人初のラジャダムナンスタジアムチャンピオン)率いる藤原ジムに入門
  • ナイトがキックボクシング・ムエタイで数々のタイトルを獲る(WPMF25kg30kg35kgチャンピオン&他多数)
  • 父がセコンドにつき親子二人三脚で7年間で100戦程試合する
  • 2010年2月、中年のキックボクシングイベントNICE MIDDLE初参戦(キックデビュー戦)KO負け
  • ナイトが中学進学と同時にアマチュアボクシングに転向、2014年のアンダージュニアボクシング38kg級で日本一になる
  • 父はジュニアトレーナーとして週4回子供たちの指導、ナイトは中学校のボクシング部の練習後、週4回キックボクシングジムに行き、父のミットを持ったりスパーリングパートナーとなり、二人三脚で大晦日の試合に向け追い込んでいる。

facebook https://www.facebook.com/arakure.knight



FACEBOOK

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イベント概要

日程 2015年12月31日(木)
時間 開場19:30/開演20:30
場所 大さん橋ホール 神奈川県横浜市中区海岸通り1-1-4
主催 ニッポン・ファイト実行委員会 〒111-0053 東京都台東区浅草橋4-9-11 大黒ビル2F
放送 TBSテレビ「KYOKUGEN」
お問い合わせ info@nippon-fight.com